サカナの興味

体験したこと感じたことを思うままに書きつらねたものです。

初雪

今日、昼間雪が降った。

雪と言っていいのか分からないくらい、束の間の出来事だった。数分間だけ雨ではないものがひらひら舞い降り、そしてそれは雨になった。

ここ地元ではあまり降らない雪だが、大学時代に住んでいた地域では毎年11月の終わり頃から雪が降っていた。それもたくさん降るものだから、一晩で膝上まで積もってしまう。朝家を出るときは、玄関に置いてあるママさんダンプで道を掘るのが日課だった。

雪が降らない地域で生まれ育ったものだから、大学生活1年目のときには降り積もる雪にひどく興奮した。土が混ざらない真っ白な雪だるまを人生で初めて作った。手のひらサイズではない、背の丈ほどの雪だるまは空想上のものではないのだと知った。夜中は雪で月の光が反射されて、街灯なしでも道が明るくなるなんて知らなかった。

そんな感じで大雪に興奮していたものだから、自分が雪に不慣れだということをすっかり忘れてしまっていた。当時は雪かきの仕方なんて知らなかったものだから、考えなしで雪の中を歩こうとして、膝まである雪の層に足を突っ込んだ。そして当然のことながら、足は抜けず、転んだ。痛みで雪の中に身体を転がし、全身が埋まった。当たり前だが、冷たい。かなり冷たい。冷たいを通り越して痛い。刺すような痛みだった。

捻挫は結局完治するまで1ヶ月以上かかり、しかも雪は捻挫しようがしまいが変わらず振り続けるものだから、足の痛みに耐えながら雪かきをする羽目になった。それで私は雪が嫌いになった。雪が積もるのを見るたび、あの痛みを思い出すようになってしまった。

雪の降らない地元に戻ってきたのは、雪に懲りたというのもあるかもしれない。「雪だー!」と騒ぐ子供たちを見ると、何となくかつての自分を思い出して、苦い気持ちになる。

年賀状の話

お題「年賀状」

 

今日は特に書くことがなかったので、お題に沿ってみる。

 

年賀状は今年も出したのだが、毎年出した貰ったが完全に一致することがない。

出さなかった相手から届いたり、逆に出した相手からは来なかったりする。後者は別に構わないのだが、前者の場合は出さねば失礼な気になってしまう。そして慌ててコンビニに走る。

 

今年もそうだった。

元旦に届いた年賀状だけで9枚、出さなかった相手から届いてしまった。毎年のことなので予備に5枚取っておいたが、当然足りず、コンビニまで買いに行った。印刷して一言書き、夕方ポストに入れてひと安心……と思ったら、見落としでまた2枚出てきた。ここで諦め、どうせ元旦は回収されないし、明日でいいやとなった。

2日の朝ポストに投函し、その日は落ち着いた。ところが3日になって、また3枚届いた。またコンビニに行って買い、印刷する。4日に職場に行ったら、今度は職場宛に1枚渡していない相手からの年賀状が。そして帰宅すると2枚増えている。それでようやく心が折れた。

内訳は、3枚は私宛、残りは旦那宛だった。旦那は年度途中で異動したのだが、異動先の部署の方にしか年賀状を出さなかった。それで以前の部署の方から届いたのが多かった。

メールやLINEが普及した今、職場関係はともかく友人には年賀状を送らなくなったし、送られることもなくなったと思ったのだが、今年は今までLINEで済ましていた友人からも年賀状が届いた。全国的に見たら総数は減っているらしいが、それでも個人的には過去最多の枚数だった。年賀状に振り回された年明けだった。

来年のことを言えば鬼が笑う、とは言うが、来年はこうならないよう、予備の年賀状を多めに用意しておこうと思う。

休日の話

今の仕事は基本的に土日祝日が休日だ。1年に2〜3回だけ10連勤、12連勤なんてこともあるが、平均で考えれば休みは多い方だと思っている。

休みの日は出掛けたり趣味に没頭したりしているが、大体午後は昼寝をする。というより、昼食を食べると猛烈に眠くなるのだ。それに従い昼寝をすると、夢も見ずにぐっすり寝て、気付けば夜になっている。時間の無駄遣いだと旦那には言われる。

休みだから眠くなるのかと思えば、平日に仕事休みでも眠くならない。そして土日は仕事中でも眠くなる。仕事のあるなしは関係ないらしい。

同じ現象は腸運動にも起きている。平日の朝にはお通じがあるが、土日は便秘になる。これも仕事のあるなしには関係ない。

体内時計と同じシステムになっているのかと考えていたが、最近は身体も「休日」になっているのではと思い始めた。私の脳や大腸も、同じように土日定休日を設けたのかもしれない。責めることはできない。きっと休みを取らなければならなくなったほど機能が衰えてきたのか、それだけ頑張っているのだろう。

ただし、大腸の方は正月休みも取ったようで、この三が日は便秘による腹痛で苦しんでいた。そして今日の仕事始めでフル稼働したがために、痛みが処理しきれず寝込む羽目になった。便秘は怖い。

パンツの話

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

 

 

 

……

生まれて初めて、男性用のパンツを履いた。

というのも、旦那の実家に帰省していた関係で、未使用のパンツがなくなってしまったからだ。4枚しかパンツを持っていないこと自体が問題なのだが、それは明日買うことを決めたので気にしない。

今日帰宅し、パンツを全て洗濯機にかけたら、履くものがなくなってしまった。そこで、目に入った旦那のパンツを借りた。

ボクサーよりトランクス派の旦那のものは、なるほど通気性がとてもよい。女物のパンツは生地が肌にぴったりくっつくものがほとんどなので、太ももの部分がヒラヒラしている感じが何だか落ち着かない。

あと、クロッチ部分がないので、縫い目が肌にダイレクトアタックしてくる。立っている分には隙間が多分にあるので気にならないが、座ると「おおっ」となる。ここまで書いていて、自分が恥じらいを捨てていることに今更気付いたが、それも今更なので気にしないことにする。

秋頃から冷え対策にと、パンツの上から毛糸のパンツを履いているのだが、今の状況でそれを上に履くと肌心地が最悪なことになったので、仕方なくやめた。おかげでお腹がすっかり冷えて悲鳴を上げている。昔から腸が弱いのだ。

コインランドリーに行こうとも考えたが、男物のパンツを履いているという状況で外に出る勇気はなかった。見えないから問題ないというわけでもない、自分の気持ちの問題だった。

旦那は冷ややかな目でこちらを見ている。某仮面ライダーは「その日に履くパンツがあればいい」と言っていたが、やはりパンツはたくさん持っていた方がいい。少なくとも1週間分くらいは。

シュークリームの話

今日、シュークリームを作った。

シュークリームを作るのは初めてだったので、持っているレシピ本やインターネットで作れそうなレシピを調べた。材料が多すぎると分量を量る段階で面倒臭くなるし、揃えるのにもお金がかかる。コストがそこまでかからず、簡単に気軽に美味しくできるのが一番いい。だが、シュークリームはどのレシピを見ても嫌なワードが出てくる。「しぼむ」……しぼむ?

あのサクサクふわふわのシュー生地は、どうやらいつものように適当に作るのではしぼむ可能性があるらしい。「材料はすべて常温に」「蒸発を防ぐために」「温度が冷めないうちに手早く」「完全に乾燥させて」など、不安を煽るような言葉がいくつも出てくる。本当に作れるのか?心配になってきた。

不安だったので、分量をレシピの半分にして作った。いつもは使うときになってから量っていたが、今回は最初にすべて量った。そのくらい、いつもとは状況が違った。何せ、しぼんだシュークリームはシュークリームではないのだ。

1回目は膨らんだ。膨らんだから安心してオーブンから取り出したら、空気の抜けた風船のようにぷすぷすしぼんだ。真ん中で切り分けてみると、中の記事にまだ水分が残っている。見た目は焼けているのだ。焼けているのに、中はしっとり。難しい。

2回目は別のレシピで作ってみた。こちらは成功した。オーブンでぷうっと膨らむ生地を見ていると、ずっと眺めていたくなって、5分くらいオーブンの前に立ち続けた。生地に含まれる水蒸気が蒸発する過程で膨らむらしいが、見ていて本当に楽しい。

作ってみてわかったこと。材料をすべて常温に戻しておくこと、火にかけるときに沸騰させないこと、焼きあがるまでオーブンを開けないこと。この三つさえ守れば何とかなる。

明日はクリームを中に詰める。クリームのできはどうか……楽しみである。

パニックの話

昨日、100均で買い物をした。

目的のものをいくつか探し、揃ってからレジに並ぶ。休日で年末だからか、そこまで大きくない店の中は人でごった返しており、二つしかないレジにも長蛇の列ができていた。この店もこんなに混むときがあるんだなあ、と思いながら我々もその列に混ざった。

並んでいるうちに、霧吹きを買い忘れていたことを思い出した。旦那に代わりに並んでいるよう頼み、園芸コーナーに行く。だが、園芸コーナーに置いてあるはずの霧吹きがない。どうしてないんだ、と混乱して上から下まで何度も見直すが、やっぱりない。

そのうち頭がこんがらがってきて、訳が分からなくなり、座り込んでしまった。あるはずの霧吹きがない、早く戻らないとレジの番が来てしまう、探さないとと分かっているのに体が動かない。

そんなことをしているうちに、会計を済ませたらしい旦那に声を掛けられた。それでレジに間に合わなかったんだと分かって、胸が苦しくなった。

「どうしたの。具合悪い?」

「ううん、霧吹きがないの。いつもここ(園芸コーナー)にあるのに……」

旦那も一緒に確かめてくれたが、やっぱりない。そうしたら、「他のところにあるんじゃないの?」と棚の裏側に回った。

「ほら、あったよ」

そう言って旦那は私が見ていた棚の裏から霧吹きを持ってきた。何のことはない、園芸コーナーは二箇所あったのだ。私が見ていたのは鉢や支柱が置いてある場所で、霧吹きは園芸用の小物が置いてある場所に置いてあっただけだった。

冷静に考えれば探せるものを、「ここにあるはずだ」と決めつけ一人でパニックになってしまった。

 

時々こうしてパニックになる。

きっかけは本当に些細なことだ。忘れ物をしたとか、急な用事が入ってきたとか、予想外のことによるものが多い。落ち着いてから思い返せば大したことではないと分かるのに、なぜかそのときだけは訳が分からなくなってしまうのだ。

パニックになると攻撃的になってしまうこともある。これがよくない。旦那には申し訳ないといつも感じている。

最近はパニックになりそうだと感じたら、座り込んで一切の刺激を遮断するか、YouTubeで好きなクラシックを聴くかするようになった。そうすればいくらかは軽減できる。一度パニックになってしまうと、自分でも止められなくなってしまうから、そうなる前に何とか落ち着こうと努力するようにした。

けれど結婚したての頃は、旦那がそうしているときに追い打ちをかけるように怒鳴ってきたり「何やってんだ」「現実逃避するな」だとか言って行動をやめさせようとしたりするので、結果パニックを起こしていた。今はお互い理解し合っているので、パニックで暴れることは随分減ったように思う。

今は平静なので、こんなことを気楽に書けているが、パニックになると本当によく分からなくなる。感情のコントロールができなくなる。あの現象は一体何なんだろうか。よく分からない。

お菓子の話

お菓子作りが好きだ。

小さい頃、母親がよく菓子を作ってくれていて、その影響か自分でも作るようになった。ケーキにクッキー、最近はタルトとパイにはまっている。バターの値段も馬鹿にならないので、最近はバター風味のマーガリンを使っている。味は落ちるが、自分で食べる分には貧乏舌なので気にしない。

昔は誰かのために作ることがほとんどだった。友達の誕生日、リクエストを受けて、クリスマス、バレンタイン……。今ももちろん誰かのために作っているのには変わらないが、「誰か」の範囲が広くなった気がする。

今ではすっかりお馴染みのInstagramに出来上がった菓子の写真を投稿する。「いいね」がつく。調子に乗ってまた作る。写真を撮る。投稿する。そんなことばかりしている。

作る相手によっては、レシピひとつでも気を使う。甘さ、舌ざわり、風味……と考えることばかり増えてしまう。ブラウニーひとつでもレシピは山程あるのだ。どのレシピならその人の口に合うか、考えるのは苦しいときもあるが、「美味しい」の言葉には勝らない。

本屋に行ってレシピ本を探すのも楽しいが、最近はインターネットでレシピを検索して作ることも増えた。本でもネットでも、実際に作ってみないと自分の舌に合うかどうかは分からない。案外レシピ本より美味しいレシピがネット上にあった、なんてこともあるから本当に分からない。

ただ、本だとその場でメモができる。それに、開きっぱなしでいつでも見られる。電池残量を気にする必要もない。レシピにハズレは少ないし、最近はカロリーも表記されているからありがたい。

昔は思いつきで作って持っていくことがあったが、社会人になってからはリクエストされたら作るようになった。手作り菓子を喜んでくれる人もいるが、「手作りはちょっと……」という人もいる。そういう人は一口食べて「残りは家で食べるね」と言い、ティッシュとビニール袋でくるんでしまうので、きっとこの後ゴミ箱に捨てるんだろうと察してしまう。要らぬ気を遣わせ、無理して食べさせてしまうくらいなら、作らない方がましだ。

リクエストは、この時期だとフォンダンショコラが多い。フォンダンショコラはレンチンして熱々を食べるのが美味しい。レンチンすると中のトロトロ部分が固まってしまうこともあるので、最初の焼き加減にはものすごく気を使う。レンチンすることを加味しての焼き時間を自分で考えなければいけない。大体レシピ本の焼き時間からマイナス3〜5分くらいが理想的だ。表面がとりあえず焼けていて、軽く揺らしても中身が飛び出さず表面が維持されていれば問題ない。その後冷え固まって持ち運べるようになるので、あとはレンチンするだけだ。

……書いていたら食べたくなってきた。